一時は消滅していた!?農園の歴史

農園は魅力的な場所だけど…

茨城には、魅力的な農園がたくさんあります。茨城ならイチゴが有名ですが、他にも梨やブルーベリーなど様々。シーズンになると多くの人が訪れ、農園でしか得られない体験や果実が頂けます。
しかし今でこそ当たり前の存在である農園ですが、歴史をたどると波乱万丈。記録に残っている範囲内で言えば、農園が誕生したのは1920年代と言われています。しかし日本は農業で成り立った国なので、農園の原型になるものならもっと前に存在していても不思議ではないでしょう。

農園が消えた

ただ農園そのものが、一時期姿を消していたころがありました。ズバリ、終戦直後です。終戦直後は食べ物が少なく、明日も絶対に食べ物にありつける保証もない頃です。何が何でも農園が必要不可欠だったはず。農園を作ろうとする動きはあり、実際に農園を束ねる団体も発足したほど。
農園が消えた理由はいろいろとありますが、制度によるものが大きいでしょう。農地改革により農家が自由になり、食料不足はすぐに解消。食糧を補う目的の農園は、用済みとなったのです。

農園が消えたら悪いことばかり起きた

では、元々農園だった場所はどうなったのでしょうか。多くは手つかずのままで、放置されてしまっていました。手が出ないまま放置されているので、雑草は伸び放題。害虫も数多く発生し、近隣住民は頭を抱えます。農業だって何時でも簡単にできるものではなく、手つかずの畑も多く発生するほど。
そこで目を付けたのが、消えてなくなった農園の存在です。農業で培ったノウハウを活かし、農園が誕生。自治体も手つかずの土地の処遇が決まり、Win-Winの状態となりました。

農園がもたらす大きなもの

バブル時代に入ると再び「農園は不必要」という、声が出てきます。農園をつぶして宅地化した方が、人々のためになると本気で考えていた方もいたほどです。
ただ緑が少なくなっている昨今において、農園は数少ない自然を保持するために必要なもの。また気軽に自然と触れ合うので、子供達への教育にもなります。農園は単に作物を育てる場所ではなく、お金では買えない大きなものをもたらしてくれる存在です。